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おばあちゃんの原宿「巣鴨」へ

 10月14日。天気予報では雨は降らない予報だが、なんだか雲行きがあやしい。そんなに遠くに行けないかな。四ツ谷からだと東西南北で、北の方面に行っていないようなので、ちょうどどの方面に巣鴨があった。ひと目見たくて行ってみることにする。
 片道8㎞。最高気温が20℃に達せず、はじめてウインドブレーカーを着用。


1.源覚寺

 なぜ、このお寺に行くのか。「こんにゃく閻魔さま」がいると知ったので。東京ドームの後楽園駅側の千川通りを大塚方面に向かうと、左側に源覚寺があらわれる。

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 なんで「こんにゃく」なのか。源覚寺のホームページには次のとおり載っている。
 閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。それにはこんな言い伝えがあります。
 宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。満願の日に、老婆の目は治りました。
 以来、大王の右目は盲目となりました。老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。
 夏目漱石の「こころ」にも登場するとか。


2.白山通り・旧中山道

 どうして白山通りに着目するかというと、白山通りと国道17号線は旧中山道と言われていて、そこを走ると巣鴨に着くので。旧中山道は、某局のアナウンサーが「いちにちじゅうやまみち」と読んだのが有名のため、気になるフレーズだった。
 そのことはさておき、きっと歴史ある街道のひとつに違いない。ネットで検索して最も心に残ったのが以下の記載。

 京から信濃を通り、東国に向かうルートを中山道と表記するのは、すでに『太平記』(1371年頃)に見られます。したがって中世にはその名で呼ばれていたと推測されています。
 戦国時代には、北条氏が関東の中山道に伝馬制を敷き宿駅を整えています。そして、徳川家康は関ヶ原の戦い(1600年)に勝利した翌年、慶長7年から街道の整備にとりかかり、まず東海道を、そして慶長8年(1602)には中山道を整備しています。いかに家康が人、物、情報を運ぶ街道を重視していたかがわかるというものです。江戸幕府が開かれると、翌、慶長9年(1604)には江戸日本橋を起点として諸国の街道の両側に一里塚を造成し、道の脇には松並木が植えられました。江戸五街道が一応の完成をみたわけです。
 中仙道という文字を用いることもありますが、正徳6年(1716)江戸幕府は、公式に中山道と表記する通達をだしました。江戸と京都を結ぶ大幹線道路が東海道とすれば、同じく江戸と京都を結ぶ中山道は、いわば裏街道・バイパスといえます。中山道は533㎞、草津宿で東海道と交わり69の宿場がありました。昔の旅人はおよそ15日で歩いた、あるいは12日の旅程という記述もあるので、いずれにしても大変な健脚でした。

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3.とげぬき地蔵

 あっという間に巣鴨。巣鴨地蔵商店街はご婦人方でいっぱい。これは自転車を置いていかないと迷惑になる。商店街は、お祭りみたいに露店が立ち並んでいる。驚いたことに、女性用かつらの露店なんかもあった。生活相談所も多かった。

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 ほどほど歩くと右側に「高岩寺」があらわれる。
 とげぬき地蔵の由来は、その昔、女中が誤って口にくわえた針を飲んでしまった時、地蔵菩薩の御影を飲み込んだところ、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたということらしい。そこから他の病気の治癒改善にもごりやくがあるとされ、現在に到るまでそのごりやくを求めて高齢者を中心に参拝者が絶えないとのこと。

 写真は香炉で、お香を投げ入れその煙を体の気になる部分に「良くなるように」すり込む。

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 かなりの行列になっているところがあったので、先をみると観音様を洗う順番を待っているようだった。これは、洗い観音といって、自分の悪いところを洗うと治るという信仰があるらしい。

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 小雨が降っており、今日はこれで帰ることにする。今の日本の豊かな暮らしは、巣鴨を訪れる方々の世代が作り上げたもの。心より感謝します。

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2012-10-28(Sun)
 

今話題の東京駅赤レンガ駅舎

 10月13日、同僚のM氏と一緒にポタです。復元された東京駅赤レンガ駅舎です。それと、代々木公園で九州観光・物産フェアをやっているとの情報をM氏からもらい、おいしそうな九州にちなんだメニューを食べたくなったので行っちゃいました。
 東京駅→内堀通り→三宅坂→赤坂見附→青山通り→表参道→代々木公園(渋谷門の前にある特設ステージ)。片道8㎞。気温も23℃、とても気持ちの良い青空、絶好のポタ日和。
 ※おまけ~ルイーダの酒場

1.東京駅赤レンガ駅舎

 東京駅の歴史。
 1872年の新橋―横浜間の鉄道開通を受けて、線路は西に伸び、1889年(明治22年)に新橋-神戸間の東海道線が全線開通する。一方、東北方面は私鉄の日本鉄道が上野を起点に青森に向けて線路を伸ばし、1891年(明治24年)に上野―青森間が全線開通している。
 空白地帯だった新橋-上野間、1914年(大正3年)にこの線の途中の中央停車場として駅舎が完成し「東京駅」と命名されたとのこと。
 1945年5月の空襲で焼夷(しょうい)弾によって火災を引き起こし、鉄骨造の屋根は落ち、内装も大半が失われている。
 現在の東京駅は、平日はビジネスマンの出張拠点、休日は旅行客の出発点であり、一日38万人の乗客がいるらしい。駅周辺は日本一のビジネス街で、超高層ビルに生まれ変わる建物が多いなか、東京駅は赤レンガ駅舎として復元されたというのは良いことだと思う。

歴史ある赤レンガ駅舎を背景にM氏の自転車を含めての写真。良い思い出になりました。

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2.ベンチアート in 丸の内

 M氏からの情報提供。丸ビル開業10周年を記念して「ベンチアート in 丸の内」が開催され、有楽町~大手町の丸の内中通りを中心に、20体の有名人の像がベンチに設置されるというもの。9月6日から10月14日までなので、もう終わってしまいましたね。

 鈴木福くん。松井秀喜の像の前では、お散歩中のワンがおとなしくおすわりをきめていた。

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 卓球の福原愛ちゃん。なんと、芦田愛菜ちゃんのベンチは、Bianchi Marunouchiの前

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 仮面ライダー1号、そしてリカちゃん。説明文をつけないと何か分からないかも。

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3.九州観光・物産フェア(代々木公園)

 ランチの時間になるので、九州観光・物産フェアに行くため代々木公園へ向かう。内堀通りから三宅坂までは、たくさんの皇居周遊ランナーとすれ違い、赤坂見附から渋谷方面へ青山通りを走ると、まぁ外車ばかりと遭遇。それにしてもマセラティによく会った。イタリア車で1500万円から2000万円以上の価格。ぶつからないように避けて走らねば。

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 そうこうしているうちに、代々木公園についてしまった。写真は原宿口。とても大きな公園のため、どこで催しをしているのかわからん。M氏が渋谷口の先に九州のニオイを発見し、無事に九州の地に。

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 それにしても、ものすごい人・人・人。たくさんおいしいものがあって目移りしてしまうが、写真の博多芳々亭で、博多もつ鍋ちゃんぽんに決める。

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 M氏に並んでもらい、僕は席の確保。遠慮がちな北海道人は、度々図々しくできずウロウロ・・・。
 いやーそれにしても美味しかった。味噌味と醤油味のもつ鍋をラーメンつきで楽しんだようなもの。青空の下で食べてなお美味しい。

 ポタリングというよりは、もつ鍋ラーメンを食べにきたみたいになっちゃいましたが、本当に天気が良く、また一人ではないということで楽しいポタリングになったところ。


4.おまけ

 早起きをしてしまったので、東京駅に向かう前に、ドラゴンクエストの旅人のようにルイーダの酒場に寄ることにした。朝早かったのでOPEN前だったけど、雰囲気だけでも味わうことができた。今度は自転車を家に置いて入店してみようと思う。

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2012-10-14(Sun)
 
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Author:ふみゆ
自転車で東京ライフにゆとりを

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